極真空手の歴史
創設者 大山倍達 |
極真空手の歴史は創始者の大山倍達十段が空手道「大山道場」を開設した1950年代に さかのぼります。やがて65年に東京池袋に「国際空手道連盟 極真会館 総本部」を竣工、 69年には初の直接打撃制による「全日本空手道選手権大会(毎年11月)」、75年には 「全世界空手道選手権大会(4年毎開催)」を開催するに至りました。 創始者の没後、松井章圭現館長が後継者となり先代の遺志を継いでいます。 約半世紀の歴史を刻み、現在までに世界120カ国以上に支部を置き、 その会員数は累計1000万人を超えます。 |
キングオブキョクシン
中村誠 代表師範 |
極真空手史上ただ一人「世界選手権」を連覇したのが中村誠 代表師範です。 その空手はしなやかにして豪快、183cm100kg余の体格から繰り出される技は 世界中の空手家の憧憬と畏怖を集めました。 いつしかそのスケールと実績から“キング・オブ・キョクシン”の異名で称されています。 中村誠 代表師範が81年に「中村道場(本部神戸市)」を開設、現在大阪、 兵庫に40ヶ所以上の道場を構えます。その門下からは全日本チャンピオン、 日本代表選手など、多くの優秀な選手を輩出する一方指導陣の層も厚く、 全国随一の道場生数を誇ります。 また近年は中高年や女性の躍進も顕著です。 |
極真の精神
極真とは、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発した名称です。
完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。
極真会館に伝統的に受け継がれている精神である、
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」とは、創始者である故大山倍達自身が、
長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。また一方では、極真の挨拶「押忍」の精神には、
尊敬、感謝、忍耐という精神があります。心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真会館での修行が、
実生活に活かされると信じます。
極真会館の沿革
1954年5月 |
東京・目白の野天にて大山道場を開設。 |
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1956年6月 |
立教大学裏の古いバレエスタジオ跡に大山道場を移設。 この道場がのちの極真会館の前身となる。 |
1963年10月 |
大山道場が手狭になったため、豊島区西池袋において国際空手道連盟 極真会館総本部の建設に着手。 |
1965年6月 |
極真会館総本部が竣工。国際空手道連盟 極真会館が正式に発足。 大山 倍達が連盟総裁に就任。 |
1969年9月 |
東京体育館にて第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。 7000人を超える観客を集める。他流派に加え、キックボクサー、 柔道家などが挑戦するが、極真勢が上位を独占。 |
1971年 |
少年雑誌誌上にて、【空手バカ一代】連載スタート。 爆発的ヒットを記録し、極真空手ブームが巻き起こる。 |
1975年11月 |
第1回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。 世界36カ国から128名の選手が参加。 |
1976年5月 |
極真空手のドキュメンタリー映画【地上最強のカラテ】が封切り。 |
1984年6月 |
大阪にて極真会館初の体重別大会、第1回全日本ウェイト制空手道選手権大会が開催される。 |
1988年9月 |
日本の全都道府県に極真会館の支部が設立される。 |
1994年4月 |
大山総裁、肺ガンのため聖路加病院で死去。享年71歳 |
2016年〜 |
国際空手道連盟 極真会館 中村道場を発足。 大山総裁より受け継いだ極真空手の「真髄」を伝えるべく活動を開始。 |
大山総裁座右の銘
1、武の道は礼に始まり礼に終わる。よって常に礼を正しくすべし。
2、武の道の探求は断崖をよじ登るがごとし。休むことなく精進すべし。
3、武の道においてはすべてに先手あり。しかれども私闘なし。
4、武の道においても金銭は尊いものなり。しかれども執着すべからず。
5、武の道は姿なり。何事においても常に姿を正しくすべし。
6、武の道においては千日を初心とし、万日をもって極めんとす。
7、武の道における自己反省は、常に練達への機会なり。
8、武の道は宇の為にあるものなり。修練にて私心を忘れるべし。
9、武の道においては点を起とし、円を終とす。線はこれに付随するものなり。
10、武の道においては真の極意は体験にあり。よって体験を恐れるべからず。
11、武の道において信頼と感謝は常に豊かなる収穫を得ることを忘るべからず。